これが好きだと決めたのは、私じゃない。
これが嫌いだと決めたのは、私じゃない。
本当はただ、そういう風に思い込まされているだけなんだよね。
そして人生とは、意識的にしろ無意識的にしろ、好きなものの方を選び、嫌いなものの方を避けていく。
ということは、自由意志は在って無いようなものということになる。
この考え方は何も悲観的な気持ちばかりを生むものではなく、プラスにも考えられる要素を持っているのだと、最近は気付き始めた。
「〜が好きで欲しいのに、手に入らない!」
「〜が嫌いだから、二度と関わりたくない!」
とにかく感情に振り回されてどうしようもない時は、そのことを思い出して、ふと冷静になる瞬間を作るといいかも知れない。
ただそういう風に、思い込まされているに過ぎない。
途端に冷めますよ「なーんだ」って。
知らず知らずのうちに、“そういう役”を演じていただけなんだと。
考えてみれば人生なんて、思い込みの積み重ねだ。
そうして積み上がった重みを抱えて、不自由な生活を強いられている。
この苦しみを耐えるのが人生だなんて、また“思い込んでいる”始末。
馬鹿みたいな重荷を放り投げて、原点に返ろう。
全てのものは、在ってもいいし、無くてもいい。
全ての出来事は、そうで在ってもいいし、そうで無くてもいい。
柔らかく、柔らかく。
世界の中で私たちは、共通の遊戯に興じているだけ。