久々にブログが更新できないまま昼を迎えた。
最近はだいたい深夜か夜明け前の、最も静かな時間帯に書いていたんだが。
丑三つ時の静謐に浸っていると、徐々に精神が研ぎ澄まされて来るので、閃きの受信感度は非常に良好なものとなる。
インスピレーションの赴くまま書き連ねることによって、閉じていた感性の扉が次々と開かれていく。
それと同時に、やはり深夜は心が闇に囚われやすい。
複雑怪奇な迷路の中に、いつの間にか迷い込んでしまった気がしてくる。
世界が覆い隠している秘密の領域に、足を踏み入れているような感覚。
私が書いたような内容を、村上春樹はこういう文章で説明している。
“真っ暗の地下二階に入って行って、普通の家の中では観られないものを人は体験する。手探りで色んなものを触って、何かそこにいるもの、確かにあるものを感じて、扉を閉めて、こっちの世界に戻ってくる”
あの作家が表現しようとしている世界観を、端的に表している文章だと思う。
家を魂の段階に例えれば、一階から二階があれば事足りる。
しかし人が何かを創造しようとする時に必要なのは、地下へと進み続けること。
何となく地下一階ぐらいで終わらせている表現者も多いだろう。それはそれで何も間違ったことではない。
程々の需要があれば、それに相応しい供給がある。
ある程度で満足しない表現者は、地下二階へと、更にその下へと向かう。
村上春樹は京都での講演で、「僕のやりたいことは、正気を保ったまま下に降りていくことなんです」と言っていたけど、私が冒頭で書いたとおり、ある意味ではかなり危険を伴う作業なんだと思う。
文学にしろ、芸術にしろ、音楽にしろ、昔の表現者は破天荒な生き様が多かったというのも、本当に深い場所にあるものを表現しようとした結果なのだと思うと、作品が驚異的なインパクトを放っているのも頷ける。
平々凡々と生きたい人は、私が書いたことを全て忘れなさい。
何も知らずに水際遊びで人生を終わらせた方が、きっと幸福。
それでも世の中には、好き好んで深海まで潜る人間もいる。