青い鳥は最初から傍にいたけど、それじゃ物語が始まらない。
だから馬鹿みたいに、遠方まで旅をする。
それは一見、何の意味もない徒労に思える。
でも考えてみれば、そういう寄り道や道草に思えることが、取りも直さず人生で。
ただの遠回りにしか思えない場所で見た景色や経験が、結局は無味乾燥な日々に味わいを加える彩りになっていたのだと、後になってから気付く。
起動しただけでエンディングが流れるゲームや、1ページ目に結末が書いてある小説なんて、それこそ何の意味もない。
無駄こそが人生だ。
無駄とは遊びであり、遊びのない人生は窮屈で息苦しい。
車のアクセルに遊びが必要なように、一見無駄に思えるけれど確かに必要。
幸せは最初からそこに在るから、どこへも行く必要がないだなんて、訳知り顔で言いなさんな。
滾るような欲求は、冒険心ともいえる。
無駄と扱き下ろされようが、人はエベレストに登り、深海に潜り、月に旗を立てる。
全部、やらなくてもいいことだ。
でも、やらなくては気が済まないのが人間の性。
昔どうして山に登るのかと聞かれて、「そこに山が在るからだ」と答えた人がいたそうだが、その言葉は他の一切にも当て嵌まる。
どれだけの人が望もうが愛そうが、全てのものは無くてもいいこと。
だからこそ自分が心から信じたことは、死ぬまでやり続ければいい。
どこかに在る青い鳥を探すのではなく、それは最初から自分の中に在って。
欲求を満たしてくれる行き先を示す、羅針盤のようなものだ。
それを別の言葉に言い換えれば、幸せという言葉になるだろうか。