でも、結局は死ぬ・・・と考える時、それなら生まれて来ない方が良かったのか?という問いが浮かぶ。
しかし、“でも結局は死ぬ”というやがて来るであろう未来の話と、“今”という時がどう在るかは全く関係がない。
いつか死ぬと決まっているから、常に沈痛な面持ちで日々を過ごさねば成らないのかといえば、全くそんなことはない。
というより、明日死ぬと仮に決まっていたとしても、テンプレート通りに絶望しろとまでは決まっていない。
どこまでいっても、人生はただのゲーム。
せっかくチェスの駒を並べたのに、「いつか終わって箱に仕舞われるし、楽しむ必要なんてないよね」などと思う人間がいるだろうか。
詰みに成るまで楽しむのが、ゲームってもんだろう。
現実では「待った」が通じなくても、チェックメイトの先が有り得る。
全てが終わったと思っても、寧ろ全てが始まるような出来事が起きたり。
いつどのタイミングで人生が完全に終わるかは、人間には解らない。
“チェスが終われば、王様も歩兵も同じ箱に帰る”
役割を与えられているのは、生きている間だけ。
そして生きている限り、プレイは続行中。
どうせなら信じられない奇手を放って、相手に一泡吹かせてやろう。