昨日は悪化する一途の症状にブチギレて、オーバードーズをしてしまい。
こんな薬をいくら飲んでも問題ないと知れど、思わず死が過ぎり。
辞世の句を詠んだ次第です。
死なないことは解ってた。でも死んでも良かった。
けれども最期に兆した感情は、未練にも似た生への憧憬。
全てを受け入れて現世に手を振ることは無理だった。
“人の世の儚きことは砂山の城にも似たり”
人が形作るものは脆い。人の命は更に脆い。
本当の居場所だと思える場所を、この世界に幾つ築けただろう。
仮に築けたとして、いつまでそれが残るだろうか。
何もかも砂で作った城のように脆く、永遠を約束するものなど存在しない。
“今も追う影”
それは、人生に幾つも存在する悔恨の念。
叶えられなかった夢、決別した人たち、愚かだった言動に対する自責。
何もかもが上手くいったとしても、結局は砂の城に過ぎないのかも知れない。
それでも安寧の地を見つけ、そこに自分が本当に安らげる居場所を築き、心許せる人たちと末永く暮らしたい・・・という幸福な夢の影を、死を予期した今も追い続けている。
・・・って、自分で詠んだ辞世の句を、大真面目に解説する馬鹿がどこにいる(笑)
という訳で、未だに欲に塗れたエゴの塊なので。
当分は死ねないようです。