砂は砂とて、風は風とて、人は人とて

自由意志というものを考える時、自分自身が酷く不明瞭な存在に思える。

地球というサイズから見れば、人間など砂粒でしかなく。

その砂粒が風に煽られて移動したからといって、それを「これこそが自由意志だ!」と声高に叫んでいるような、滑稽で馬鹿々々しい思い込みに過ぎないのではないか、と。

風は風とて、自分の意志で吹いている訳ではない。

何かは他の何かの影響を受け、その連鎖が永劫に続いていく。

他の一切から微塵も影響を受けず居られることは、まず在り得ない。

原因には原因がある。その原因にも更に原因がある。どこまでも影響下。

開闢の起源まで探るなら、ビッグバンまで遡らねば成らない。

では何故ビッグバンが起きたかを考えると、それはもう人知を超えている。

我思う故に我あり・・・確かに自我を認識している何かは在る。

けれど、そう思わされているに過ぎないという疑念を払拭できるものではない。

砂粒は今日も考える。何一つの自由が無いとも知らずに。

自由が在ると微塵も疑わず、自身の才覚に酔い痴れる。

宇宙が瞬きしただけで終わるような生涯など、在っても無くても同じなのに。