老兵はかく語りき

好きなものが何もない訳じゃない。

けれどもやはり、それは暇潰しの域を出ない。

つまり、趣味ではない。

私には胸を張って、これが趣味である!と呼べるものがない。

25年も生きてきて未だ私には、時をも忘れて没頭できる何かを知らずにいる。

ヲタ共は幸せだ。趣味を持たぬ私より、遥かに幸せだ。

何だか最近、酷く自分が年老いたように感じている。

余命幾許もない老兵に思える。

数多の戦地を潜り抜け。剣を置いた今は、茫漠とした日々の中で死を待つばかり。

確かに自分の人生を振り返っても、いつも何かと戦っていた。

戦い続けることが、取りも直さず人生であったのだともいえる。

だから私には趣味の1つさえなく、戦いの日々に明け暮れた。

勝ち続け、屈服させ、1人でも多く跪かせる。それが生の意味だった。

今はもう、そういう年月が馬鹿々々しく思える。

けれども同時に、救いようのない空白感に囚われている。

空白の量が私を上回り、自分という存在が掻き消されてしまった気さえする。

空気のように目に見えず、触れることも出来ない。

社会という枠の中に居ながら隔絶されるということは、無人島の中でたった1人で生きているのとは全く違うベクトルで、気が狂いそうになる。

いや、狂う時期は過ぎたな。

精神に異常を来たす主な原因は、極度のストレスや苦痛が慢性的に続くこと。

怒りだの恐怖だのっていう感情は、もはや通り越してしまった。

後に残るのは、ただひたすら無のみ。

ブラックホールのように、あらゆる感情は飲み込まれていく。

この状態は生き抜くために本能が選択したことだ。別にそれで構わない。

くだらぬことで、一喜一憂していたくない。

砂金のような幸福を握り締めても、掌から零れ落ちて砂が残るだけ。

余計なものを望まず、浮かんで来る感情は流していけばいい。

そういえば、これが悟りの状態に近いのか。

まぁ、何でもいい。

全てに期待しなければ、一切は過ぎていく単なる映像と音声。