男の子と女の子

ずっと何年も私は即身仏のような有り様だった訳ですけど、若菜さんと会って色んな感覚が自分の中に戻ってきたし「ああ、そうか。自分はまだ生きているのか」というごくごく当たり前の実感さえ、5年ぶりに取り戻した今日この頃。

ほんっとーに久々に純粋な恋愛感情を抱いて思い出したけど、やっぱり自分は「女の子」が好きなんだなって思う。別にこれはロリとかペドとかいう話ではなくて、あんまり年齢そのものは関係ない。幾つになっても可愛い人は可愛いし、年云々よりその人の心の中にある「女の子」に恋してるんだと思う。

だから女の子に恋する時は、自分の中にある男の子の要素が強く出てくる。表面上は枯れ果てて今にも死にそうに見えても、心の中の一番深いところで守り続けてきた最も繊細で無邪気で穏やかな自分が出てくる。これが本来の私自身であって、ゴミクズ以下の社会の中で必死に生きてきた殺気立った大人の自分は仮の姿なのです。いわば、死なずに生きるための鎧。

そういうガチガチの鎧や、身を守る盾や、人を傷つけるための剣が、やわらかく穏やかな感性を持った女の子と出会うことによって不要になる。重たく危険でしかないものを、すぐにでも放り出したくなる。

僕は若菜さんと出会ったことによって、本当に泣くことが増えたけど、これは悲しくて泣いているというより、自分の心が今まさに浄化されているから泣かずにはいられないんだと思う。

ただ、穏やかに暮らしたい。

君の隣で生きたい。