与える男

今までずっと自分だけが一方的に無条件にひたすらに徹底的に愛されることしか願っていなかったけど、今はもうとにかく自分の方が愛したくて仕方ない。

愛されないことは確かに不幸だと思うけど、それ以上に愛したいと思う相手がいないことの方が不幸なんじゃないかな。だって愛されるのって受動だけど、愛するのって能動じゃない。受動ってのは相手次第で自分の個人的な頑張りとか何の関係もない。愛するってのは自分次第で、自分自身が愛そうって思うから初めて愛せる訳で、愛し続けるのを自分が諦めない限りは、いつまでも愛を表現することが出来るってことなんだよ。それって素敵じゃない?とっても。

もう他人とか関係ないんだよ。結局、自分がどうするのかって話だから。自分がどうなりたいのかって話だから。これからの人生を、歩むべき道を、生き様を、どのように進めていく気なのかってことでしかないから。

でも、愛するってことに関しては相手がいないと成り立たないし、ぬいぐるみに愛を説き続けても意味がないので、自分が心から愛したいと思える人を私の隣に据えて欲しいと思う。

もはや自分のためだけに生きるのは限界だと思っているし、思っているだけじゃなくそれはもう厳然たる事実なので、これからはずっと人のために生きたい。心から愛したいと思える人のためだけになら生きていける。この命を賭けるに値する人であるなら、歓んでこの命を差し出そう。愛する人のためだけにこの命を極限まで使い切ろう。

愛とは与えるものである。

独り善がりにならないように、自己満足にならないように、想像力を持って与えるものである。

相手が歓んでくれることを、笑顔になってくれることを、心から願って与えるものである。

明日からと言わず、今日この時から私は与える男になる。