here comes your love

結局、人生で会う人や起こる出来事が決まっているとしたら、人間に自由意志なんてないのではないか。

どう考えても付き合う人も結婚する人も、縁だろう。縁っていうのは、袖振り合うも多生の縁ってことでさ。遥か昔の前世からの繋がりの話だろう。今日たまたま肩がぶつかった名も知らぬ人でさえ、偶然の出会いではない。

結婚する人が決まっているということは、お互いが好きになるということであるし、好きにならなければ結婚することもない訳で、「この人を好きになる」ということは初めから決まっていた。シナリオ通りの感情でしかないってことだ。

はっきり言って、運命論者になった方が人生が楽かもな。だって、どうにもならないことが遥かに多い訳だし。だからって別に手を抜いて雑に生きようなんて思ってないけどさ。もし「この人を好きになる」という人生の醍醐味の一つである恋愛や結婚まで予定通りに進行しているだけに過ぎないなら、無駄な足掻きなんて不要じゃない?考えても意味がない。果報は寝て待てってことですよ。焦って泣いて眠れぬ夜を過ごして、それが何だってのさ。ただ楽しむためだけに自分は生まれてきたってのにさ。

でもまぁ、好きなもんは好きなんだから仕方ないじゃない。それと同じで、嫌いなもんはどうしたって嫌いだしさ。それって別に「私が決めた」訳じゃないでしょう。何で好きか、何で嫌いかなんて、全部が全部を理屈で説明できる訳がない。「ただそうであったから、そうであるしかない」などと、トートロジーの言葉遊びでしかない。

命が運ばれていくっていうのが、運命ってもんですから。

僕らは時の川を流れていく、小さな笹舟の一つに過ぎない。

いつも僕が愛を時の川に流すように、君また愛を流しているのであれば、いつでもそれを受け取る覚悟は出来ている。

here comes your love

いつか君の愛が僕に辿り着けるように。