恋の始まり方を誰も知りはしない

スピリチュアル系のブログを読んでいると、ツイン(レイ・フレイム・ソウル)にめぐり会う前後から伴侶に対する気持ちが冷えっ冷えでマジ笑うんだが。

やっぱり人生って、どう考えても最初から最後まで決まってるよな。

別に今日の昼飯を牛丼にしようかラーメンにしようかとか、そんなことはどうだっていいけどさ、人生の大きな枠組みは決まっている(宿命)けれど、人生の細かな部分は変えていける(運命)とか言われても、宿命の大きさに比べれば運命なんて誤差のレベルじゃね?って思う。

仕事も結婚も産まれてくる子供も全部決まっているんだな。初めから。

その感情のすべて、その激情のすべて、その慟哭のすべて、その憤怒のすべて、最初からプログラミングされていた通りに展開しているだけなんだな。

どうでもいいな。すべて無だな。すべて無駄な・・・ってそう思うことすら決まっているんだから、もうお手上げですわ。そのことに気付いても何ら変わらずこの先も生きていくしかない。

師、曰く「生きる道はこれまでもこれから先も天によって完璧に決まっていて、それが故に、完全に自由」ということだそうなので、結局は好きに生きればそれでよくね?って思う。だってそれすら完璧に決まっている枠の中での限られた自由でしかない。でも私たちは体感的にはどこまでも自由であると感じているのだし、あえて不自由さに縛られることもなく、お釈迦様の掌の上で自由気ままに振る舞う孫悟空のように好き勝手に生きてやればいい。

ゲラゲラ笑って生きてやる。

それだけが自分の信条だ。