運命

YUKIの新曲であるチャイムもかなりツインレイっぽい歌詞だなぁとは思ったけど、宇多田ヒカルのあなたを聴いたらそれ以上に凄かったw

ちょっと普通じゃない曲だわ。この人だけは絶対に諦めてはいけないんだって気持ちにさせるような歌詞。背中を押してくれるとかじゃなくて、ただ静かに心の奥底で決意が固まるような歌詞。

君の名は。なんかもうモロにそうなんだけど、最近どう考えても運命の出会いってのがヒットの共通モチーフになってるっていうか、ツインレイという言葉を知らなくても思わずネットで今の異常な恋心の意味を検索してしまいたくなるほど、作品との共時性を感じている人が多いんじゃないかな。必然性があるからヒットするんだし、ヒットするから人々は心のどこかで運命を信じるようになっていく。悔しくもあるけど、この世とは想像もつかないような大きな存在の掌の上で踊らされているに過ぎないんだなって感じ。まぁ、それが解れば人生って無理して頑張らなくてもいいんだなって心から思えて自由になれるんだけどね。最低限のことはやるけど、後のことはすべて成るように成るだけ。成るように成ったことを人生と呼び、その集合体を歴史と呼んでいるだけ。徳川家康も私も宇多田ヒカルも皆おんなじ。

ジャンルを問わず、表現者ってのはみんなイタコのように神が憑依して神の言葉を世に顕現させているんだなって感じ。こんなしょうもない私のブログでさえ、「降ってきた文章を自動書記している」だけだからね。これほんと。細かい文章のテクニック的なことは頭で考えているけど、大筋の部分は完全にインスピレーション。だから降ってきた最初の部分は解ってて書いてても、最後がどうなるかまでは解ってないで書いてる。今もそう。どう終わらせるつもりなのか自分で解ってない。無理に捻り出そうとしていないからこのブログは不定期なのです。降ってきた時だけ書いてる。降ってきているのにずっと書かずに放置していると、三大欲求のようにそのうちどうしても我慢が出来なくなって絶対に書くことになる。

私はスピリチュアルを信じてるっていうか、この世界は作り物なんだなってことをまず信じてる。だからどんなに意味のない人生に思えても、そこには意味があるのだし、逆に言えばどんなに意味のある人生に思えても、ただの大きな役を与えられた舞台役者の一人に過ぎないんだと思ってる。

善に思える役がある。悪に思える役がある。

好きに思える役がある。嫌いに思える役がある。

あなただけを愛するために生まれてきた役がある。