引き受ける

YUKIトロイメライ制作に関するメッセージの中で、「何があってもおかしくない毎日の中で、私達は、哀しい事も嬉しい事も引き受けて暮らしています」という文章を書いているんだけど、凄くグッときた。特にこの「引き受けて」の部分。

哀しいことを受け入れてではなく、引き受けてという言い回しが無性に響くのである。哀しいことだけでなく、嬉しいことも引き受けている。ある種、運命論的というか。哀しいことだけが避けがたい運命なのではなく、嬉しいことでさえも運命であり、起こるべきことが起きているだけ。舞台役者として私たちは、その台本に書かれている役回りを引き受けているんだ。

損な役回り、貧乏くじばかりを引いてきた。私がなぜそれを引き受けたのかは神のみぞ知る話で、自分では全く解らないけどね。私だって楽してウルトライージーモードの人生が良かったさ。何が哀しくてこんな苦しい思いをしてまで生きねばならんのかと。でもそれが役なんですね。引き受けたんですね。

同時に、嬉しいことも引き受けた。私ほど笑う三十路もいないだろう。三歳児レベルで笑ってるからな。日常の些細なことからも面白いことを見いだし笑える才能。心から穏やかにニコニコ出来る才能。こんなに苦しい人生なのに、なぜ私はこんなにも笑う人間なのでしょう。やっぱり引き受けたんですね、それもまた。良い部分も認めなければフェアじゃない。嬉しい役どころも確かに引き受けた。

人生は悲劇でもあるが喜劇でもある。

自分で幕を引かなくても、いつか必ず終わりがくる。

その時がくるまで、舞台の上で踊り狂ってやるよ。