まったくもって愉快

まったくもって愉快って、久々に会心のフレーズが降ってきた。文章の創作自体がインスピレーションな訳だから上も下もないんだが、それでもやっぱり私自身の好き嫌いってもんはあるからね。自動書記とはいえ、もっと良くならんのかこのくだり?と思うことは多々ある。余計な思考を挟まず潜在意識と直結できている時ほど、神憑りな文章が書ける。スポーツではそういう状態をゾーンに入るというが、創作も同じ。とても人間業とは思えない感覚。村上春樹も小説家に一番必要なことは雷に打たれることだと述べている。おそらくインスピレーションの比喩だろう。

まぁ、スポーツと違って創作はどんなに自分でいいと思っても、評価を下す側は常に他人だから、あんま意味ないけどな。自己満足の域を出るものではない。

という訳で、ツイッターの説明文は「ゲラゲラ笑って生きてやる」から、「まったくもって愉快」に変更。何かこうゲラゲラ笑って生きてやるって、無理してる感がぬぐえないというか。それに対してまったくもって愉快は少しシニカルで冷めてるんだけど、総合的には物事を愉しめてるように思える。こっちの方が今の自分っぽいかな。幸せって大爆笑みたいな刺激じゃなくていいと思うんだよね。もっと自然で無理がなく、それでいて過酷な現実を見ない訳じゃない、様々なことから面白みを見いだせる生き様。「お前って本当に不幸な人間だよな」と言われても、「いや、愉快」と虚言でも強がりでもなく、全体的にはそれなりに愉しめている人生でありたい。

幸せは状況ではなく、状態が決める。

私の心の在りようが、幸せであるかどうかを決める。