生きてきたように死んでいく

もちろん沢山の例外はあるんだけど、基本的に人間ってのは生きてきたように死んでいくんだなって思っている。

現世で精算されなかった事柄に関しては、来世に持ち越されるとカルマになるのかなって気もする。魂が肉体を跨いでも、逃げ切れることはない。それが悪いことであっても、またその逆でも。自分が過去に蒔いた種がどのように育っても、それをいつか刈り取ることになるのは自分自身なのだから。

必ずしも死に様が生き様を表す訳ではないが、そういうものだと思って他人を見ているし、そういう風に最期を看取ってきた。おそらく自分もそうなっていく。若い時に散々好き勝手にやってきた奴が晩年に病気で身も心も落ちきっても、私は受けた分だけの恩しか返す気はないし、優しくされた分しか優しくしない。私が長く苦しい病と闘っている時も、あんたらは平気な顔をして私に対し好き勝手に上から物を言っていたんだ。人の気持ちを想像することもせず。自分が大病を患って初めて解ったか?自分がただ健康に恵まれた運のいい人間に過ぎなかったという事実に。ほんの少し運命の歯車がずれていただけで、大きな事故や災害に巻き込まれていたかも知れないという事実に。日常の些細な選択ミスの一つが原因で、人生の全てが狂ってしまうこともあるという事実に。

人身御供を決めるための白羽の矢は、いつでもどこでも降ってくる可能性がある。今日はたまたま当たらなかった。では明日は?明後日は?

もっと謙虚にならなきゃダメなんだよ。自分が健康だからって、相手も同じように健康な訳じゃない。自分が人間関係に恵まれているからって、相手も同じように人間関係に恵まれている訳じゃない。そうじゃない人たちの気持ちを、ほんの少しでもいいから想像してみるんだ。子供の頃から上手くいかないことばかりで、苦労の連続でしかない人生を歩んできた人の心がどんな状態であるか、少しでもいいから考えてみるんだ。そうすれば自分の言動もいくらか謙虚なものになっていくだろう。それが人を認めるということだ。それが人を許すということだ。

まぁ、自分の人生について思うことは色々ある訳だけど。

私について最初から最後まで知っているのは神様だけだから、別にそれでいいのかなって感じ。世界中の誰からも真っ当に理解されることのない生涯であったとしても。