微妙なニュアンス

今思えば、私の通勤経路を全く違うように記憶していたってのもありゃボケだったのかい。

一昨日に本人から直接どこからどのように来ているのかを訊かれ、通勤経路の詳細まで教えているのに、翌々日に忘れるとか有り得るか?しかも忘れたっていうか、全然違う場所から全然違う交通手段でもって通ってきてる話をしだして、こっちは一瞬「?」ってなったんだけど、「ああ、俺の通勤経路の話をしてんのか」ってすぐ理解したから、思わず吹き出しつつもちゃんと訂正して改めて伝えたけどね。あまりにも滔々と寸分の淀みなく真顔で間違うもんだから本当に面白かった。ああいうのは、大真面目にやるほど笑っちゃうんだよな。緊張の緩和って奴。

いや、あれやっぱりおかしいな。誰かの通勤経路とごっちゃになってるとしてもあまりにも意味不明。どう考えても新人がどんどん日替わりのように入ってくるような職場じゃないし、そういうものを頻繁に覚えなきゃならない必然性はない環境。あれはつまり「ボケ」でしたっていうのが一番合理的に理解できる。

反射的に笑っちゃってんだからボケとしては100点ですわ。ただこっちは普通にマジメに仕事してたからボケだと理解したのは後になってだけどね。まぁ、結果的には割とぐいぐい「ツッコミ」をする形にはなりましたけど(笑)

あの人がユーモアを交えて話をする人なんだってのは、ほぼ間違いない。実際に面白いかとか、すべってんなってのはともかく、ユーモアを交えたい人なのかは少し話せばすぐ解る。それが誰であろうとも。

腕時計を見せた時も、「時間が解らない」じゃなくて、「時計がない」って言い方をしたんだよな。ほんと不思議。いや、ここ君の職場だし時計のある場所は知ってるだろう。初めからないならスマホを準備しときゃいいのだし。あの時はごくごく普通の流れに感じたけど、今考えると少し奇妙に感じて、私に「腕時計ありますよ」って言って欲しかったからそうしたようにも思えてくる。もちろん過度の自意識過剰はあると認識しながらも、こういう自分の意識の中に入ってきて強烈に記憶に残る出来事が多すぎるんだよな。彼女の意図的な作為というか、必然性の不可抗力すら感じる。こういう偶然の重なりが続くと人はそれをいつか運命の人だと思い出すのだろうか。そして魂の繋がりのある人であったのだと思い出すのだろうか。

あの目の伏せ方も、“半信半疑=傷つかないための予防線を今、微妙なニュアンスで君は示そうとしている”っていう、しるしの歌詞そのまんまだもんな。なお、その時はすでにキャパオーバーで頭がパンクしており、典型的なランナーとしての「君に特別な好意などない」アピールをして逃げてましたねぇ。これが仕事でなけりゃあんたと話すことなんざ何もないんだって感じのそっけなさを、不自然なレベルで急に出し始めるっていうね。あの時、何だったら「お昼を一緒に食べませんか」くらい言っても良かった。あんな乙女同然の顔をしてんのに、とんでもない塩対応で足早にいなくなるという空前絶後の醜態をやらかすワイ将、すでに心は玉砕していた模様。彼女は彼女で最終的には目を伏せたまま頷くことで意思表示をするとかいうもはや幼女同然のことをやってましたね。

僕らって傍目からはどう見えてたんだろうか。外回りの時はおじいさんから「この人、奥さん?」発言もありましたねぇ。一番後ろを歩いてた私に訊いてるってのもよく解らないけど、でもその人の目は私を見ながら言ってたと思う。急すぎて何が何だかさっぱり解らず、私は特に何も発言しなかった。もし彼女ともう一人の男性が全く聞こえていないんだったとしたら、もう完全に私のテレパスが開花してますね。あの頃から、実際に発言したのか曖昧な言葉も耳に届くようになった気がする。僕ら、夫婦に見えますか?嬉しいけど、今はまだ問題が多すぎて素直には歓べない。

一応、そのあと一回だけ話したんだっけか。カッターの折り方をフォローして貰った時、「カッターって使い捨てなんですね、初めて知りました」ってセリフを、どうも私は数十分前に言ったのを忘れて、もう一度言ったらしい。あれも向こうからしたらボケに感じたかもな。私は生粋のツッコミ人間なんで、ユーモアは交えどもボケは基本的にはしないのです。ツッコミをさせるのも誰もがノリよく応じてくれる訳じゃないしね。気も遣わすし。つまり私のボケの大半は、天然ボケです。マジのボケてる人です。すみません。マジで記憶が消し飛んでいたのです。それによって彼女の意識の中に私の言動が強烈に記憶されるのなら、やっぱり必然性の不可抗力ですね。だって私、全く意識してやった訳じゃないもの。