君にないものを僕が全て持ってる

世の中金じゃないってのは、本当に欺瞞。

大金を稼ぐ必要はないけど、ある程度ちゃんと生活できるレベルの金が入り続けなきゃ暮らしていけないだろうがよ。

そういう意味じゃ、相手の方が遥かに金になる才能の持ち主。解りやすく職業の適性を示しているものばかり。それをやっていれば間違いなく金が入り続けるだろう。

私だって別に何の才能もない訳じゃないし、一番自分が得意なものについて子供の頃から一貫して取り組み、今だってもっと上手くなれるように努力をし続けているんだ。今後も一生やるだろう。自分の適性は解りきっているんだ。最大の問題点は、それが実際に金になるかどうか。生活できるかどうか。結婚して子供がいても、家族を養っていけるだけの金が稼げるかどうか。そういう話になってくる訳でしょう、結局は。やっぱり世の中金じゃないか。それに加えて、私は健康面で著しい問題を抱え込んでいる訳で、経済的な余裕というそれだけでは全てが解決しない。

仮に君にないものを僕が全て持っていたとしても、一体それが何だというのか。

金にならない才能に何の意味があるのか。

宮沢賢治ゴッホが必ずしも不幸な人生であったとは思わないけど、自分が一番得意なものが真っ当に評価されず、死んでから有名になって莫大な金を生んでも、それが何だというのだろう。本当の使命であれば、生前は全く評価されることなく酷評と非難の嵐でも、それを受け入れなければならないというのだろうか。

金にならずとも、人の役に立つことはある。金にならない人生だからこそ、結果的にそれが人の役に立つことはある。とはいえ・・・とはいえなんだよな。僕ら三次元の世界で生きるしかない者にとって、金はあまりにも重要すぎる。それを避けては通れない。避けて通るということは、取りも直さず死に繋がる。

死など怖くないと息巻いても、飢えて死ぬことは苦しい。

苦しいなぁ。