人が決める

ツインレイブログ=スピリチュアルブログでもあるから、だいたいのブログでは相手がツインレイかどうかは自分で決めなさい、自分で判断しなさいって見解のブログが多い。スピリチュアル界隈では、自信を持つとか、自己肯定感を高めるとか、他人に依存せず自立して物事を進めるんだって話がベースにある。別にそれ自体は間違ってないだろうし、実際そうなんだろう。

ついさっき「ツインレイかどうかは人が決める」というブログを読んで、目から鱗が落ちた。ああ、そういうことなのかって。

結局ね、昔から言われていることなんですよ。「お似合いの二人だね」みたいな定番のセリフ。そういうのって自分らが言うことじゃなくて、周りの人が言うことじゃない。私も最近、街でカップルを見てると凄く似た雰囲気を感じることが多くて、その人たちをよく知らなくても「お似合い」って言いたくなる。それはあくまでも何となく感じるものであって理屈じゃない。

ツインレイブログでは、付き合う前から付き合ってるように周りから思われたり、すでに結婚してる夫婦だと勘違いされるとかそういうエピソードが多いなって思ってた。半分、青い。でも最近「お二人は夫婦なの?」みたいなセリフがありましたね。これを書いてる私でさえ、彼女に会ってすぐの段階で「この人、奥さん?」とか全然知らない人に言われたからね。全然知らないといえば、そのセリフを言った人と同じくらい私は彼女のことを何も知らなかった。だって、その時はまだ会って二回目、初日に自己紹介したっきり何の接点もなく、外回りの車で二言三言やり取りした程度の関係でしかないのに「この人、奥さん?」発言が急に飛び出してくるんだからね。何かもう奇想天外すぎて何が何だか・・・私以外のメンツは彼女含めてその発言をみんなスルーだし意味不明。その人は顧客なので無視していい相手ではない。未だに幻聴だったのか?テレパシーなのか?とか考えるけど、わかんない。わかる訳ない。

だから、ツインなんちゃらも傍から見れば普通の恋愛や結婚と変わらん訳ですよ。スピの知識がなければツインレイなんて知る由もないんだから。そうであるが故に、ツインレイかどうかは「人が決める」ってことになる訳。

ツインレイブログでも、ただのストーカーと変わらないだろってレベルで異常に執着してる奴もいるしさ。何か違うよな・・・って思ってたから、人が決めるは凄く納得。

都合よくランナーだチェイサーだサイレントだって解釈したって、相手が本当に全く微塵も君に興味ないことだって十分に考えられる。

ピリピリやイライラの関係に愛は感じない。

愛は滲み出るもの、溢れ出るもの、周りの人はそれを敏感に察知する。「この二人、何か普通じゃない感じがする・・・」と思い始める。口々に二人の関係性に言及するようになる。二人がどんなに自分の気持ちを封じ込めようとしても、互いの関係を切ることも忘れることも出来なくなる。二人にしか解らない感覚はもちろんあるにせよ、ある意味周りの人間の方が気づいてたりすることもあるのかもな。自分を客観的に見ることに限界があるように、自分たちを客観的に見ることは更に困難を極めるだろう。僕らがどのように見えているか?は人が決める。

二人の愛が磁場となって、いいものをどんどん引き寄せていくようになるって考え方が凄く好きだわ。理想のカップルであることが、愛の手本になる。みんながこうなりたいと自然に思うようになる。ライトワーカーとは言うけど、スピの仕事をするだけがライトじゃないだろうに。限りない愛の実践がライトワークであり、ライフワークだろう。愛を知って愛を表現するために、僕ら生まれてきたんだろう。