親は子を育てているのは事実ですけど、子に親が育てられている部分も多いと思うのよね。
そもそも結婚や出産を出来るレベルの人間ってのは、あんまり苦労をしてないんですよ。仕事もバリバリやってる、大きな病気を患っている訳でも身体が不自由な訳でもない。全員が全員とは言いませんよ、もちろん。そういう傾向が強いという話です。
子供の頃から苦労しかしてなくて、心身共に限界の限界までぶっ壊れて、今現在働くことさえままならない私が、じゃあ結婚や子供をつくれるかっていうとそんなことは夢のまた夢な訳です。苦労しかしてこなかった私みたいな多くの苦労人にとって、結婚なんてのは一生できないんですよ。したいとかしたくないじゃなくて、そもそも出来ないし無理なんです。結婚を現実的に考えられる、または結婚を実際にした時点で十二分に人生イージーモード。そういう人は恵まれた人生を送れた方々です。
昨日のとんでもない親を見て驚愕したけど、やっぱり苦労して生きてこなかったんだなぁってのがよく解る。人に対する優しさや寛容さがまるで見受けられない。うちの親父もそうだったけど、自分が出来ることは他人も出来て当然だと思ってる。それでいて自分が出来ないことについて縁の下の力持ちが陰ながらフォローしてくれていることに感謝がない。そもそもフォローに気が付いていない。レベルが低すぎてお話になりません。もう死にましたけど、私がこの世で最も嫌いな人間の一人でした。今も嫌いです。社長をやっていて対外的には素晴らしい父親に見えたのかも知れないけど、仕事人間で家庭を顧みることもなく病気なのに病院も行かずに無理して早死に。最初から最後まで好き勝手に生きてきた人間なんだなって感じ。学生時代の話を聞いても、地頭が良くて大した努力もせずに勉強はよく出来たそうな。私がガキ頃から学校のお勉強が出来ないというだけでどれだけ苦労したと思ってんだ。それが今後一生響くんだぞ。で、うちの奴がどーだったかといえば、恵まれた頭脳を持ちながらも努力しないで遊びほうけているから上には行けない。行く気がない。向上心がない。生まれ持っての要領の良さと世渡り上手が功を奏して社長になれただけ。そもそも零細企業だしね。
親がどうあれ、私は真っ赤なトマトに育ったと思ってます。それは親のおかげじゃない。今までの全ての人間関係には怒りしかない。
私の自己肯定感はマックスです。私は自分が大好きです。それは親のおかげじゃない。親には愛されなかった。親には認められなかった。だから自分で自分を愛するしかなかった。自分で自分を認めるしかなかった。
酷い人間たちばかりを見てきたから、相対的に自分をマシだと少しずつ感じるようになってきて、それが31年も経てば、自分は素晴らしい人間なんだと心から信じられるようになった。私は人を許せるし、人に寛大だし、人の話もちゃんと聞けるし、人の意見に否定から入らないし、人の趣味嗜好・思想と感性を理解しようと心がける。私は親とは違う。
人生が辛ければ辛いほど、真っ赤なトマトに育ちます。大丈夫。あなたは何も悪くない。親が何だと言うんだ。親なんて関係ないよ。
大丈夫。絶対に大丈夫。自分を信じてさえいれば。
私も、あなたの隣のトマトです。