型破り

たまに無性に読みたくなるブログがあって、ふっと思い出すと読みにいくんだが、本当に何を書いてんだかさっぱり解らない。でもまた読みたくなる。別に毎日は読みたくない。たまにでいい。あのブログの記事はいつも、唐突に始まって唐突に終わる。現実と虚構が混在しており、どの部分が事実でどの部分が不実なのか第三者には不明。私のブログもそういう記事が多いのであまり人のことは言えないし、そういう文章を書きたくなるという気持ちは理解できる。しかし、氏のブログは度が過ぎている。文章としては不親切の極みだし、リーダビリティの観点から見てもわざと読みにくくしているんじゃないのかという節もある。あのブログは故意犯なんだ。大真面目に遊んで書いてるんだろう。さっき久々に読んだら、最近は句読点を打たずに文章を書いていて驚愕した。句読点を用いずに書くのを実験中なのだろう。代替としてスペースを使うことにしたらしい。かのブログは個人的なイベントが何の説明もなく急に始まって急に終わるので、今度また読みにいけば句読点が復活しているかも知れない。何という自由人。基礎文章力が高いのは解る。上手に書けるのをあえて崩しているんだってのは自明なんだが、本当に奇妙なブログだ。達筆すぎて寧ろ読みにくいとか、ピカソみたいに突き抜けすぎて意味不明とか、ああいう感じだ。デタラメに書いている訳じゃない。よく型破りと形無しは違うものだと言われる。基礎をしっかりと学び、型を極めた者だけが型を破り、新境地へ辿り着くことが出来る。形無しはデタラメだ。自由自在、好きなようにやってそれが真っ当に評価されるというのは、かなり難しいもの。型というのは土台なんだ。下地がしっかりと出来ていれば、思う存分に暴れられる。