俺の世界の俺の城

音楽の話。

歌詞の「死」に関して思うこと。

宇多田ヒカル花束を君にという曲で、普段からメイクしない君が薄化粧した朝という歌詞があって。

俺は最初ふつうにメイクしない人がめずらしくメイクして出かけるのかなと思ったけど。

ある時ふと、薄化粧って死に化粧のことか?と思ってゾクッとしたな。

確かにこの歌詞は死んだ母親に向けてのものなんだと思ったら、凄く納得して腑に落ちた。

こういうどうとでもとれる表現にしてほしい。

あるいは、「死」も「逝」も使わないが、全体を読み解くとそう解釈できるような歌詞とか。

俺って決めつけられるのが大嫌いなんですよ。

だから俺は小説の解説も読まない。

他人の意見なんてどうでもいい。

真実はただ俺の中にだけある。

作者の意図すら関係ない。

作者の手を離れて俺のところまで来たら、それはもう俺のものだ。

俺が勝手に解釈する。

勝手に解釈するから歌詞を決めつけないでほしい。

透き通るほど真っ直ぐに明日へ漕ぎだす君がいる。ってきれいな歌詞じゃないですか。

これだけ見ると死とはなんの関係もない歌詞に思える。

でも主題歌になった作品を知っていると解釈が変わってくる。

それでいいんじゃないかな。

俺が書く詩も曖昧なものです。

これはこういう意味であるとは言わない。

どう解釈してもいい。

俺はいつでも自由な海に浮かんでいたいんです。

真実という島には辿り着きたくない。

何も教えないで。

俺には俺の世界があるから。

それを邪魔されたくはない。

自己完結した世界に、答えを携えた訪問者はいらんのです。