許す

褒められたい人生だったが、アクセス数のトップにきたな。

みなさんも、やっぱり褒められたいですか、褒められてこなかったですか。

解ります。

そもそも人ってどういう時に褒められるんだ。

やっぱり大きな成功を収めた時か。

俺ってこの先、一度でも褒められるのかな。

そもそも俺のブログのアクセス数が増えるだけで奇跡みたいな話だが。

アクセス数を褒められたと思うしかないのかな。

あとはツイッターのメッセージで褒めてもらうか。

ツイッターで褒められる可能性は、ほぼ0だが。

俺の今のフォロワーは一人だけですからね。

フォロワーが一人でもありがたいことだ。

たった一人でも俺のブログを認めてくれたということだから。

快楽のドロップとは次元の違ううれしさ。

もちろん1アクセスを頂くだけでも十分すぎるほど、うれしい訳ですが。

褒められたい。

俺の人生を肯定してほしい。

俺が泣きながら生きてきた事実を許してほしい。

俺はよく許されたいっていうけど、これは本当にいろいろなニュアンスをふくむ言葉。

そのままの意味で許されたいから、死ぬという意味まである。

神に許されたいという時は、死にたいと言っている時。

俺が今現在も生きていていいんだよ、という許し。

俺の今までの人生を肯定するという意味での、許し。

それでええんやでということ。

俺が泣きながら生きてきた事実を許してほしい。

みっともない、でも辛かった、でも生きてきた、それでいい、許してあげる。

それでいいんだよ。私が全部許すから。

そう誰かに言ってほしい。

許すには本当にいろいろなニュアンスがある。

自分でも言語化できない、あらゆるニュアンスをふくんでいる。

それを許すという言葉に託している。

許されたい。

許されたいし、褒められたい。