あの一番星を指さすように

俺が記事でよく解らないことを書き始めたら、詩のパートに入っています。

詩は、本当にあった出来事ではありません。

その日その時に思いついたことを、そのまま書いています。

なぜ、思いついたのか?

俺にも解りません。

書きたいと思ったから、書いたとしか。

書いている時にゾーンに入ると、よく解らなくなる。

カッコよくゾーンっていっているけど。

電波を受信するともいう。

電波ゆんゆんなのです。

そういう人間なのです。

リアルではごくふつうの人間なのですが、ブログを書き始めると違う人間になってしまうのです。

アウトプットに整合性はない。

なるべく意味のある文章にしようとは思うけど、急に電波を受信してしまう。

すると急によく解らなくなる。

その傾向は、記事の最後の方で起きるようです。

一行目から詩の時は、それは詩だと思って俺も書いている。

それは解りやすい。

最後の方で電波を受信するのは、どうやって書き終えようかと思うから。

小説はどれだけうつくしい書き終わりで完結するかで評価が決まるほど、書き終わりに求められるハードルは高い。

俺は少なからず小説的な完結の仕方を考えている。

だから、少し捻る。

だいぶ捻る。

捻りすぎて元のカタチが解らない。

その完成した粘土細工を見て、俺はタイトルを決める。

直感。

あの一番星を指さすように。