ゲームの話75

パワポケの彼女ルートのシナリオを全て読んだ訳ではないが、今のところ好きなキャラは、玲泉、奈桜、茜、由良里。やっぱ敬語キャラが好きですねぇ。この4人、マジでいい子すぎる。飄々として掴み所のない、どこか不思議な感じがするのもいい。冬子ルートでアカネハウス(公園で暮らすための精巧なダンボールハウス)が撤去されたのは死ぬほど笑ったわ。バイトして疲れて帰ってきたら家がなく、それで怒ったり悲しんだりするどころか、必要とする人が持っていったのだから役に立てて嬉しいとか、この子マジで天使なん?親から虐待されて育ったから家出して野外で暮らしてるのに、心根が優しすぎる。バッドエンドは超絶に鬱ですけどね。最後のアルバムのくだりって、いつもやたら文学調なんだよなぁ。

夏菜、紫杏、冴花、こいつらみたく気が強くて癖の強いのも好きですね。冴花って最初はぶっさって思ったけど、結果的に凄いハマったキャラ。エロネタが多くてほんと面白かった。グフフ、いやらしいですなオマエらとか言い出すメイドロボ。こいつの発言がだいたい笑える。

若菜さんは響子に似てる。ブスだブスだとコメントでも散々に書かれてるけど、そんなにブスかなぁ?そりゃゲームのデザイン上はブスキャラなんだろうし、不思議ちゃんの痛い子として描かれてるけどさぁ・・・そういう部分も含めて、ワイは好きやで?最近、こういう子ばかりを意識してしまう。若い頃の樹木希林とか、マジでドストライクです。

マコは恵理に似てる。自信なさそう。自己肯定感が低そう。病んでそう。闇抱えてそう。恵理はいい子だけど、心中エンドはNGです・・・そんな、最後じゃなくて、最期とか言わんといてや・・・過激で刺激的な展開は詳細に明言はせず、テキストであっ(察し)が多すぎなんじゃこのゲーム。

鬱だ鬱だとは言われるけど、基本はコメディタッチだし、それこそ建前上はCERO「A」の全年齢対象ゲームですから、ゆるーく気楽にエンタメを堪能できて良かった。そりゃまぁ鬱で無駄に文学調で中二な上に説教くさいのが鼻につく部分もあるけど、バランスとしてはちょうど良かったのかも知れない。今の自分にはね。ベースの部分では笑って楽しめ、適度に泣け、適度に考えさせられる。

お忘れかも知れませんが、これ野球ゲームです。

以上、レポっす。

ゲームの話74

パワポケって俺が小学生でコロコロを読んでいた時のゲーム記事に載っていたくらいだから、かなりの長期シリーズなんだよな。だいたい一年ごとに新作をだしてシリーズのナンバリングが14まで続いて終了。ほんとはもう一作間に挟む予定だったが、ちょうどDSから3DSに移行の時期で飛ばされたらしい。そのせいでストーリーが駆け足になり、未回収の伏線がいくつか残ってしまった。もっと売れてれば、3DSでもずっとシリーズが今でも続いてたかもね。3DSは未だに現役な訳だし。

そんな小学生が読むコロコロに特集が載るようなゲームになぜこの31の男が今さら(動画で)ハマったのかというとだね、結構シナリオが濃厚なのです。いや、濃厚とかいうレベルじゃない。小学生が対象ということは、当然CERO「A」な訳ですが、どこがAやねんって話。最初はまぁ、コテコテの解りやすい悪の組織レベルが敵なんだけど(でもヒロインはバッドエンドで余裕で死ぬ)シリーズを重ねるごとに話が複雑になりすぎワロタですよ。そもそも野球ゲームで裏社会のシナリオって何やねん・・・まぁ、そこがハマった理由でもあるんだけどね。

そもそも何で興味を持ったかというのは、パワポケファンが親の顔より見てる彼女候補一覧を見て気になったんだよね。若菜さんにちょっとだけ雰囲気が似てる子がいたから。そんで軽い気持ちで動画を見始めたら、いつの間にかどっぷりハマってしまった。

一応、パワポケが鬱シナリオが多いっていう情報だけは前から知ってたんだけど、予想以上に酷いです。もうほんとに酷いです。一部、マジで冗談抜きにトラウマです。でもメロンパンは筒井康隆のパロディだよね?「もしも地獄があるならば、それはジオット・セヴェルスの部屋にある。そこに連れて行かれた者には、けっして死が与えられることはない。ただ永遠の苦しみが続くだけである」これマジ、画像と共に本気でゾッとした。メロンパンが何の暗喩かは言わない。

パワポケは、その辺のエロゲよりもエロゲしていると言われる。実際、その通りだから困る(いいぞ、もっとヤれ)初期の作品ではホテルPAWAなる建物をバックに会話をするシーンにおいて、なぜかヒロインが顔を赤らめる。後期の作品では弾道システムが導入され、あっ(察し)なシーンのあとパラメーターの弾道が1あがる。パラメーター関連では、随所に野球用語を用いての下ネタが展開される。これらは決して邪推の深読みではない。奴ら(制作者)は明らかに狙ってやっている。もう笑うしかない。子供には解らないが大人になって解るというのを作品のテーマの一つにしているらしい。意外と中学生くらいでもそういうシーンの意図が解らないというから、大人が変に騒がなければ、10代でも「?」で終わるのかも知れん。そういう隠された意図に気付くというのもまた人間が成長していく醍醐味であり、大人になった証左でもある。

話が長くて終わらん。また次回。

ゲームの話73

パワポケ面白すぎワロッタァ・・・とはいえ、金がないので完全なるエアプ動画勢ですが。そもそも野球ゲームっていうかスポーツゲーム自体に興味がないので、金があっても自発的にやることはなかっただろうな。今は少し興味が出てきているけど、何かプレミアがついて高いみたいよ中古でも。お前らさぁ、発売したらすぐに新品でちゃんと買えよ。買わないからこうやってシリーズが中途半端に終了しちまうんだろうが。実は結構おもしろかったで今さらプレミアついてどうすんねん。興味が出始めた時すでにシリーズが終了してるってのは切ないね。俺はシリーズが終了したり、バンドが解散した時に「昔は好きだったのにな。辞めないで欲しい」とかいうカスみたいな発言は絶対にしたくない。好きならずっと金を出して発売日に買え。俺は本当に好きな奴は無理してもなんでも金を都合して買ってきてる。売れないから続けたいけど続けられないってのが一番悲しいから。任天堂のゲームだって、死ぬほど不評で売れなかったWii Uの時も俺はちゃんと買い続けてんねん。少し新要素を追加しただけのマリカ8の完全版がスイッチでバカ売れでほんま複雑やで。そんだけ移植が売れるということは、ほとんどの連中がマリカ8をスルーした。そもそもWii Uをスルーしたってことだからな。DLCまでちゃんと買った俺の気持ちよ。でもいいんだ、任天堂という会社が末永くゲームを作り続けてくれることが一番大事だから。任天堂がもしもゲーム開発から手を引くようなことになったら、俺はもうゲームを完全に卒業する。今でもまだ昔ながらのゲームを作ってるのは任天堂だけだからな。本当のファンならブームが去った落ち目の時ほど応援しろや。にわかでブームに乗っかってはいさようならの分際が、終わりの時だけファンぶってんじゃねーよカス。ふざけんな。本編と関係ない話が長くなりすぎたから、パワポケの話はまた次回。

型破り

たまに無性に読みたくなるブログがあって、ふっと思い出すと読みにいくんだが、本当に何を書いてんだかさっぱり解らない。でもまた読みたくなる。別に毎日は読みたくない。たまにでいい。あのブログの記事はいつも、唐突に始まって唐突に終わる。現実と虚構が混在しており、どの部分が事実でどの部分が不実なのか第三者には不明。私のブログもそういう記事が多いのであまり人のことは言えないし、そういう文章を書きたくなるという気持ちは理解できる。しかし、氏のブログは度が過ぎている。文章としては不親切の極みだし、リーダビリティの観点から見てもわざと読みにくくしているんじゃないのかという節もある。あのブログは故意犯なんだ。大真面目に遊んで書いてるんだろう。さっき久々に読んだら、最近は句読点を打たずに文章を書いていて驚愕した。句読点を用いずに書くのを実験中なのだろう。代替としてスペースを使うことにしたらしい。かのブログは個人的なイベントが何の説明もなく急に始まって急に終わるので、今度また読みにいけば句読点が復活しているかも知れない。何という自由人。基礎文章力が高いのは解る。上手に書けるのをあえて崩しているんだってのは自明なんだが、本当に奇妙なブログだ。達筆すぎて寧ろ読みにくいとか、ピカソみたいに突き抜けすぎて意味不明とか、ああいう感じだ。デタラメに書いている訳じゃない。よく型破りと形無しは違うものだと言われる。基礎をしっかりと学び、型を極めた者だけが型を破り、新境地へ辿り着くことが出来る。形無しはデタラメだ。自由自在、好きなようにやってそれが真っ当に評価されるというのは、かなり難しいもの。型というのは土台なんだ。下地がしっかりと出来ていれば、思う存分に暴れられる。

ニコイチ

俺と若菜さんが一人の人間として生まれていれば、お互いの短所を長所で補い合い凸凹が埋まることで完璧な人間としてこの世に生を受けることが出来ていたと思う。若菜さんはすでに文句なしの人ですが、女の子としては惜しいなと思う部分があった。ぶっちゃけ愛想や屈託のない笑顔は男である俺の方が自然に出来る。何も無理することなくニコニコ明るくしていられる。あの子は表情や喋り方が硬い。それが本当に惜しい。というか性別が逆なら良かったんだよな本当は。あっちはゴリゴリの理系で手先が器用、こっちはゴリゴリの文系で子供が大好き。神様、魂を入れるの男女で間違えてない?

俺とマコが一人の人間として生まれていたら・・・っていうか、あいつの強みって何?いや、マジで。何で少しでも好きという気持ちを抱いてしまったんだろう。淋しいから?若菜さんに会えないから?ほっとけない妹感はある。小生意気な妹感もある。可愛いけど、むかつく。むかつくけど、心配。俺には女兄弟がいないので、もしいたらこんな感じなのかなって思う。姉や妹がいたら最初から女に幻滅してるから過度な幻想は抱かないみたいな話も聞くけど、何かあいつを見てちょっと解った。

僕らは不完全に生まれたから、その片割れを探すんですねきっと。

何度でも!何度でも!

今まさに恋愛中の人は、今すぐにドリカムの何度でもを文字通り何度でも聴いて下さい。

もーなんなんだよあのブログ、何で全く関係ない俺がヤキモキしてイライラしとんねん。

3年も一緒に過ごしたなら、余裕で10000回チャンスあっただろ。10000回チャレンジしたか?それだけやり尽くした奴にだけ、10001回目は何か変わるかもしれないと思っていいんやぞ。人事を尽くして天命を待つとはこのことや。

何のために俺たちが言葉を持っているのか考えろ。言葉とは使うためにあるんだぞ。人に伝えるためにあるんだぞ。何のために広辞苑に3216ページもあると思っとんねん。お前が使ってくれるまで言葉はずっとその時を待っとんねん。

10001回目がダメでも10002回目は何か変わるかもしれない。

あとちょっと、あとほんの少し、あと一歩、あと一日、あと一言、それで変わるかもしれないんだ。諦めるな。絶対に諦めるな。

そう、何度でも!何度でも!

箱庭の裏庭

2017年の9月にツインレイというフレーズを知るのとほぼ同時に見つけたツインレイブログが、年末からチェックしていない間に物凄い急展開を迎えていた。

別れ。3年も仕事場を二人だけで共有しながらも、結局のところ付き合うこともなく相手の方が仕事場兼自宅を引っ越すことに伴い離ればなれになってしまったそうな。深夜に読んでて直前に最新記事がアップされてるのを見て何とも言えない気持ちになった。ああ、リアルタイム。ああ、これがつい最近実際に起きた出来事なんだって。

ほんと不思議な二人。数あるツインブログの中でも、あのブログだけは異彩を放っていた。厳密に言うと大言壮語を吐きまくりな金儲けツインブログが大半を占め、その残りが相手に対する執着の虜となり我を失っているブログしかない中、あのブログだけがあまりにも「普通」だった。普通すぎて逆に際立っていた。僕はあのブログを読むのが好きだった。まるで私小説を読んでいるかのような不思議な文章。事実は小説よりも奇なりと言うが、その不思議さ故に作り話のようにあまりにも出来すぎていた。そして報われない最後。誰よりも通じ合っているのに繋がり合えない不思議さ。誰よりも解り合っているのに共に生きれない不思議さ。ついに連絡先を教えることもなく、相手は去ってしまった。いつかまたご縁があれば再会できる。何の確約もない、それだけを願って。

でもさぁ、君たち3年も一緒に過ごせたんだからいいじゃない。こっちなんて3日ですよ、正味なところ3時間ですよ。あんたらに僕の苦しみが解るかい。解らないよね。解るわけがないよね。

ただ最初から素直になれば良かったんだよ君らは。最初からずっと本当の気持ちを言葉にして伝え続けてれば良かったんだよ。この気持ちに相当する言葉など存在しないとかそういうカッコツケはえーねん。青臭くても泥臭くても何度でも何度でも言葉にして伝えろや。何だよあれ、新海誠かよ。すれ違って別れて終わりってなんやねんマジで。

岡目八目。裏庭からは箱庭のことがよく解ります。僕のことも裏庭からどうぞ笑ってください。

箱庭

女関係のことでは、その人との未来についてかなり克明に情景が思い浮かぶんだけども、これって別の世界線の話なんですかね。考えようとして思い付いているんじゃなくて、物語が流れ込んでくるように映像が脳内で展開されていくんですよ。何これ。場所や自分や相手が話すことが鮮明に浮かび、短編映画が突然に始まる。ある種の啓示のようにも思えるが、一人だけでなく複数人についてそれぞれ別個のお話。話は繋がっていないし、当然ながら現実で選べる女の子は一人だけ。この人を選んだ場合、そういう未来に辿り着いたかも知れないということなのだろうか。実に不思議である。特に妄想癖はない。小説を書くのも好きだけど苦手だし。普段、自発的に空想にふけることなどない。

最近やってるノベルゲームでも、世界が箱庭みたいな感じでキャラがメタ発言をするくだりが間に挟まれていたり、一つのルートが終わるごとにエンディング後「はいどうもお疲れ様」みたくキャラが思いっ切りメタ発言をするくだりが絶対にあるんだが、これはゲーム自体が箱庭の作り物の世界ってテーマだからこういう演出なんだなぁって思って、まぁそれはそれで悪くないんだけど(ある種の茶々入れを挟むことでシリアスな展開になっても苦しくなり過ぎないで済むというか。安心してください、フィクションですよ!っていう)、それと同時にクリア後に「選んでくれてありがとう」みたいなセリフで何か泣きそうになる。何かを選ぶということは、取りも直さずそれ以外の全てを選ばないということであり、誰かだけを選ぶことの重さ、誰かにだけ選ばれることの嬉しさというものを如実に感じる。

何かこうゲームと同じ感じで、人生も予めプログラミングされてる世界を生きているように思えてならない。僕らは本当に自由なのだろうか?自由とは何なのだろうか?

僕らは毎日、選択をする。些末なことから人生を左右することまで。その選択は本当に正しかったのだろうか?そして、選び続けたあみだくじの先には一体なにが待っているというのだろう。誰が待っているというのだろう。今のところ、一切皆目見当がつかない。

箱庭で生きるライフ。

泣いても笑っても、一度きりのライフ。

この命が尽きる前に、もう一度だけ君に会いたい。