原因と結果

嫌うから嫌われるってのは、凄くシンプルな仕組みだ。

だったら、好くから好かれるを選べばいい。

私は何かっていうと、過剰反応で攻撃的になるから。

それが、あかんのだわ。

「精神が病んでる人とか、超嫌いなんで〜」とか言ってる奴。

絶命直前まで痛めつけて、生まれて来たことを後悔させてやろうか?

そうなってもお前、同じこと言えんのか?って。

・・・こういう思考を、終わらせる。

いつまでも「私は不幸」にフォーカスしてると、無限ループに陥るだけ。

私は不幸な状況から充分すぎるほど経験値を得たし、もういい。

長々と、不幸な自分に酔ってんじゃねぇって。

社会が腐ってようが、クズな奴しか居なかろうが、私の幸福とは関係ない。

結局そういうのは、責任転嫁しているだけ。

「他人なんて、どうでもいいじゃん」ってよく言われるけど。

ほんとそうだねって、今なら思える。

以前は、無理だった。

周囲の人間達を敵に仕立て上げないと、自分を正当化できなかった。

正しさになんて、固執しなくていいのに。

別に何だっていい、どう生きたっていい。

他人には他人の生き方がある、私には私の生き方がある・・・ただ、それだけ。

隣の芝が青けりゃ、「青いね」って思えばいい。

隣の芝が萎びてりゃ、「萎びてるね」って思えばいい。

事実は事実として受け入れ、余計な感情を挟まない。

そうなってるものは、そうなってる。

それ以上でも、それ以下でもない。

“世間様の尺度”なるものを勝手に作り上げたのは、私自身。

自分で作って自分を縛って、1人で勝手に苦しんでた。

馬鹿らしいね。

いいんだよ、私は初めから世界に1人しか居ないんだからさぁ。

好きなようにやればいい。

誰を信じるも、何を信じるも、自由。

人は、自分が信じたいものを信じてる。

信じたものが、自身を構成している。

難しいことは、何もない。

今この瞬間からでも、より良い針路へ舵を切れ。