意識

よく言われることだが、自覚できる意識領域は全体の10%程度だという。

それは海上に浮かぶ氷山の一角のようなもので、本体は深く沈み込んでおり、容易に把握できるような代物ではない。

顕在意識よりも遥かに、潜在意識の方がウェイトを占めている。

自分で自分だと思っている領域は、余りにも小さいものだ。

10%の能力と、90%の能力とでは、歴然の差が在る。

スムーズに言葉が出てくる時というのは、深く思考していない。謂わば勝手に湧き上がってくるに等しい。

これは殆ど、潜在意識から顕在意識を介さずに流れ込んできているのだと思う。

計り知れない潜在意識の情報量に比べれば、顕在意識など飯事だ。

上手く言葉になってくれない時は、考えすぎている時。

これは、10%の狭く小さい顕在意識のみで思考している状態だろう。

私は文章を書く時、ほぼ思考を挟まずに書いている。

湧き上がってくる言葉に耳を澄ませて、忠実に書記しているだけだ。

自分で在りながら自分でない領域から、言葉が降ってくるかのよう。

人体を構成する細胞の数は、60兆個ほどであると言う。

自覚する意識が思う以上に肉体は多くのことを感じ取り、体内に蓄積させている。

普段は何気なくスルーしてしまうフィジカルフィーリングに声を与えれば、顕在意識に上がってこない言語化されていない気持ちが語りだす。

自分はたった1つの存在なのだと思い込んでいても、実際は集合体なのだから、何ら不思議なことではない。

本当はてんでバラバラなものを、制御している気になっているだけ。

制御しようと思えば制御できるが、それはやはり顕在意識の範疇に留まる。

自然体で在れと言う人が多い。これはつまり、制御しようと思わず在るがままにしておくことによって、潜在意識に繋がり易くなるということだ。

悩みに悩んで思い詰め、もう死ぬしかないという段になって、素晴らしいアイディアが閃く。これは顕在意識で考えることを諦めたことにより、閉じていた潜在意識への扉が開かれたんだろう。

人と楽しく会話ができる時、私はもう何も考えていない。

私という顕在意識が決めるのは、楽しもう!という初期動機だけで十分。

後はもう、オートマティックに流れていくのみ。

それで上手くいくと、経験的に理解した。

今まで随分、人間関係に悩まされた。

ガチガチに、顕在意識でのみ思考していたからだ。

時には、流れに委ねてみる。

ただそれだけで、意外と上手くいく。