村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読了。
今回、夜であっても発売日に買いに行けば初版で買えるだろうというのは大きな誤算であり、どこの本屋も発売日に即日完売。昼には在庫切れという有様。
私が実際に本を手にしたのは、それから1週間も後のことだった。当然のように初版は手に入らず3版だったが、もう何でもいいから早く読みたい!の一心だったので、1冊取り置いてくれた書店で働いている友人のジャミさんには、大感謝であります!
確かに発売日の前から、メディアは妙に盛り上がっていた。僅かでもネタバレに触れたくない私は、それらを一切見なかったけれど。
前作の『1Q84』が世間的にも高評価だったことが、今回の初週ミリオンという結果からも、如実に見て取れる。
さて、今作の書評に入ろう。
正直に言って、かなり面白いと思う(ここ傍点ふりたいね)
往年の一人称形式から、近年の三人称形式に移ってから、非情に文章が洗練されて来ているように感じる。それを単にエンタメ寄りになっただけという人もいるが、小説において読みやすいということは、何のマイナスでもない。寧ろ読み難い独特の文体こそが文学なのだという見解もあるが、私にしてみればまるで解せないし、何ら当を得ているとは思えない。
昔の作品も当然好きではあるんだけど、『1Q84』からの文章は灰汁が抜けたというか、嫌味な感じがまるでなく、自然にすっと内容が入ってくる感じ。
『アフターダーク』辺りで模索し始めた新たな文体が、ここに来て実を結んだというか・・・非情に上からの表現で申し訳ないのですが(汗)
物語的なことでいえば、二十歳で全ての親友を失った青年の話で、時期的にも同じタイミングでそういうことがあった私は、全く他人事とは思えず、哀しみが何倍も響いた。
大体作家のピークは40代といわれ、その年代が一番脂が乗っているなんていう話もよく聞くが、村上春樹のピークは寧ろ60代からなのかも知れない・・・と思うと、往年の名作を上回る作品がこれからも生まれるのではないかと、胸の高鳴りが抑えられない。
ノーベル文学賞を取ろうが取るまいが、後世の人間は彼を文豪と呼ぶだろう。