スピッツの話

ぶっちゃけつい最近まで、スピッツのアンチになりかけていたんだけど。

ここ数年では、オケラしか認めていない有様だったし。

さらさら/僕はきっと旅に出るの両A面シングルを聴いて、素直に感動した。

特に、僕はきっと旅に出るを初めてフルで聴いた時は泣いた。

心のどこかにあった傷が癒され、閉ざされた窓から陽が差し込んだような・・・新しい物語のページが開かれ、未知なる旅へ出掛けたくなるような・・・そんな清々しい気分になったね。

さらさらをMステで聴いた時は、何かまた微妙な感じだなーっと思って、いよいよ新譜のCDはスルーかなぁって気持ちでいたんだけど、CMで不意に流れてきた僕はきっと旅に出るを聴いて、直感的に「これは久々にキテる」と思い、購入を見合わせていたシングルを買ったら、これがもう超大当たり。

最初は微妙に感じたさらさらの方も聴き込む内に好きになり、これはもう散々扱き下ろしたとげまるを聴き直すしかないと改めて聴いてみたら、今まで解らなかった楽曲の世界観が全て私の感覚と合致した。

スピッツがダメになったのではなく、私が追い付いていないだけだったのだ。

最近よく例えに使っている、ちょうどいいサイズの服になったって訳。

人生の中で痩せたり太ったりを繰り返すように、その時々で自分の感覚と過不足なく正確に合致するものは、絶えず変わっていくのです。

そのことに良いも悪いもないし、上も下もない。

ちょうどいいものを素直に享受すればいい。誰もそれを咎めない。

・・・。

薬を飲むより、スピッツを聴いた方が鬱に効くわ。

ミスチル桜井の思想に傾倒するにつれ、マサムネの思想が解らなくなっていったが、今になってマサムネの世界観に惚れ直している。

やっぱミスチルの歌詞は、リア充のストーリーだからな。

スピッツの主人公は冴えないモブキャラだし、私の本質は間違いなくこっちだわ。

主役はおろか脇役にすらなれない、画面から見切れているモブ。

置かれた場所で咲きなさいとは、何と残酷な言葉なのか。

役割、役割・・・と言い聞かせても、気休めに過ぎないしね。

“Yes 「余り」としての誇りを、この胸に”

まな板の上に残った玉ねぎの微塵切りが、前菜にすら使われず捨てられる定めだとしても・・・だとしても・・・。

余りは余りとして、生涯を全うしてやんよ。