自分は他人の始まり

思考も感覚も、勝手に湧き上って来る。

それは恣意的に制御できないし、完全に運任せ。

何故か解らんが、取り敢えずそうなったとしか言えない。

だからって何が起きても許せよって、それはそれで無理があるけど。

とはいえ、思考や感覚の出発点は自分で決めた訳でもないし、湧き上って来たものに乗せられ流され、あれよあれよという間に何らかの事象が発生しては、すぐに通り過ぎていく。

自分は行為者というよりは、観察者に近いんだろうな。

誰かが作った映画を、眺めているようなものだ。

だからそう、自分は他人の始まり。

道行く他人は知らぬ人、それ見る自分も知らぬ人。

結局、自分とは何者でもないのだろう。

それは、実体のない影と同じ。