何事も程々の塩梅で

感情はただ人生が無味乾燥なものに成らぬように湧いてくるだけだから、スパイスとして能動的に楽しめるのなら積極的に採用してもいいんじゃないか。

楽しむ分にはいい。でも感情に振り回されるなってことです。

思考にしても同じことで、眉一つ動かさずクレバーに駒を進めるのもいいけど、あれこれ思索をめぐらした末に一手を放つのを純粋に楽しめるなら、いくらでも考えていいと思う。

最近は、考えても考えなくても結果は同じだと思っている。浮かんでくる感情にしたって、それで結果が変わるとは到底思えない。でもまぁ、そう言い切ってしまうのは、多分に不粋だと自覚はしている。

だからまぁ、人生でやっている大半の作業は、全くの無駄ともいえる。

何となく、やっておいた方がそれっぽく見えるだけというか。

情熱は本当に必要な時だけ、烈火の如く燃え上がらせればいい。

普段は不必要だ。必要以上にハッスルして、上手くいった試しがない。

だから、程々がいいんだ。