厳密に解るのは、自我の範囲内だけであって。
他人の思考・感覚は、想像するしかない。
思考域の範疇外の事柄に対して、深く考える必要はないのだろう。
想像して「これが正しい」と確信したところで、答え合わせは不可能である。
相手が“本当のこと”を言っているか、確認のしようなどない。
人間関係というものは、常に“何となく”成立して、“それらしく”進行していく。
それで上手くいくのなら、それでいんだろう。
そつなく生きるには、無駄を徹底的に省いていくこと。
思考域の範疇外は、完全にシャットダウンしてしまっても構わないだろう。
別に関係を拒絶する訳ではなく、不必要な思考を捨てていくということ。
「これだけ考えた」だの「これだけ思った」だの「これだけ感じた」だの。
だから何?って話でね。
貴殿の努力には感服するが、それで現実問題、何がどう変化したのでしょうや。
前にも書いた、してやってる感に繋がってくる訳ですね。
個人の努力・労力は、相手には何の関係もない。
押し付けがましく、恩着せがましく、暑苦しい。
それらしく関係性が出来あがれば、それで良いのです。