2014-04-04 驕慢に冷や水 定期的に、嫌いな文章をわざと読む。好きと嫌いは表裏であるが、要するにどこかドキッとする文章だ。何か後ろめたくなったり、おぞましくなったり、ヒヤッとしたり、憤慨したり。イエスマンしか存在しない環境では、次第に自分というものを見失っていく。人間は、相対的にしか物事を理解できない。固有の感覚の妄信は、驕りを生み、慢心を生み、やがて孤立へと至る。他人がいなければ、自分が何者かも解らず、途方に暮れるばかり。だから機を見ては、自ら冷や水を被りに行くのだ。