驕慢に冷や水

定期的に、嫌いな文章をわざと読む。

好きと嫌いは表裏であるが、要するにどこかドキッとする文章だ。

何か後ろめたくなったり、おぞましくなったり、ヒヤッとしたり、憤慨したり。

イエスマンしか存在しない環境では、次第に自分というものを見失っていく。

人間は、相対的にしか物事を理解できない。

固有の感覚の妄信は、驕りを生み、慢心を生み、やがて孤立へと至る。

他人がいなければ、自分が何者かも解らず、途方に暮れるばかり。

だから機を見ては、自ら冷や水を被りに行くのだ。