物事を判断する時、まずは直感で好きか嫌いかを決める。
好きでもない、嫌いでもない、そういうものは思考域から外れていく。
好きか嫌いかというのは、それだけで思考する意味があるもの。
人は自分にとって無意味なものにまで、思考を割いたりはしない。
愛の対義語は無関心だなんて言ったりするが、愛されることもなく好かれることもなく、かといって嫌われることもなく、透明人間のように存在さえも認知されない方が、実はよっぽど憐れなのかも知れない。
生きていくのに、個性という色彩を邪魔に感じることもあるが。
無色透明な人として生きるよりは、極彩色で暴れてやろうなんて思ったりもする。