踊り踊って、マリオネット

どれだけ自分と距離を置けるのかが、いつだって問題なんだ。

感情も感覚も思考も、自動的にリアクションを取っている訳だから、そういう意味では人間に自由意志はないのであって、言わばされるがまま。

そのされるがままを、どれだけ距離を置いて見つめられるか。

ゲームのマリオをプレイする時のように、淡々と自我を観察できればいいのだが。

自分とは自分であって、自分ではない。

湧き上がってくるシナリオに操られる、マリオネットのようなものだ。

とはいえ、自分は自分から抜け出せないし、死ぬまで踊るしかない。

だがそれも踊りから距離を置ければ、観劇しに来た客も同然。

静かに幕が下りるまで、悠々と楽しませて貰おうではないか。