自分にとっての基準、他人にとっての基準

自分にとっては憎しみの対象でしかない奴でさえ、他の誰かにとっては深く愛される対象であるという事実。

究極的な意味においては、善人も、悪人もいない。

それは受け取る側によって異なるし、状況や環境によっても変わってくる。

全ては主観の域を出ないというのに、善く生きるとはどういうことなんだろうか。

その善は、誰にとっても同じように善であるか?

あなたの施した善行は、誰かにとってはありがた迷惑である可能性はないか?

やって良いこと、悪いこと、良かれと思っては言い訳でしかない。

とはいえ考えてばかりじゃ何も行動に起こせないし、とりあえずは自分の感覚を信じるしかないのが実情・・・。

では、どうするか。

人は間違いを起こすものという前提に立つ。

自分の善悪基準に固執しない。

他人の基準には口を出さない。

この3つを可能な限り守っていくというのが、現状での結論。