ブログの話5

だいたいブログの指南系サイトなどを読むと、難しい漢字や言葉は使わないように、簡単な文章で書きましょうって指導してるんだが。

私は絶対に嫌!!である。

何でノータリンのために文章のレベルを下げなきゃいけないんだ、ど阿呆。

ろくすっぽ本も読まず、活字にも日常的に触れていない奴の程度に合わせなくちゃならないなんて、苦痛でしかない。

そもそも、一般教養レベルの言葉しか使ってないっての。

あと難しいか簡単かに関わらず、漢字そのものを減らせって言ってるサイトも多いけど、そんなもん個人の自由だろ。

本当に読みやすい文章は、漢字と仮名のバランスが取れているものだし、どちらか一方を減らしたり増やしたりしたから読みやすくなるものでもない。

そして、候補が複数ある場合、どの漢字を使うか問題だが。

例えば私は、解るとか、淋しいとか、絶対にこの漢字を使うと決めている単語もあって、決して分かるや、寂しいは使わないし、ましてや平仮名では書かない。

逆に漢字にしないと決めた単語もあって、事、無い、為、達、物、所、居などは平仮名で書くようにしている(もちろん例外はある)。今までは無意識に使っていたのだが、ある時これら使用頻度の高い言葉を漢字にすると、文章が無駄に硬くなることに気付き、使うのをやめた。

ネットで検索した時に、多くヒットしたから正しい訳でもないし、少ないから間違っている訳でもない。あくまで、どの漢字を使用するかは筆者の自由である。

結局、文章は好みの問題なので、これが正解というものはない。

一流の作家でも表記の揺れはあるし、どれだけ信念を持ってその言葉を使っているのかは、甚だ疑問である。

文章に拘りがあるか、無意識で書いているのかは、一読すれば解るし、どちらが好きかといえば、拘りのある文章に決まっている。

拘りのある文章とは、自分の癖を理解した上で、その癖を個性として伸ばしている文章だろう。癖は生まれ付きのものだし、後天的には変わらない。いかにそれを鍛え上げ、活用できるかに掛かっている。

そういう文章は、無自覚には書けないものだ。

1年365日、徹底的に文章と向き合った者だけが辿り着ける境地といえる。