空白

「しなくていい苦労はしなくていい。なぜなら人間性が歪むから」って意見はよく解る。実際その通りでしょう。私の人間性は歪みきっているからね。

けれどもそれと同時に、「しなくていい苦労をした人間にしか解らない境地」というものも存在するんですよ。

文字通り死ぬほど苦労した人間、今もなおその環境に耐えている人間にしか解らない思想や感覚は存在する。

私が今まで一度も身近な人間に対して凄いと思ったことがないのは、そういう常軌を逸したレベルの苦労人を知らないからだろう。

もちろん自称苦労人はたくさん見てきた。そいつらの苦労自慢も聞いてきた。的外れな説教も甘んじて受けてきた。でも別に何も感じませんよ、だって私には苦労に思えないから。何が苦労なんですか?って感じ。自虐風自慢の話もたくさん聞きました。あなたは大好きなんですね、そういう自分が。

極限までいくと、もう無なんですよ。

悲しみが頂点に達すればそれは怒りとなり、怒りが極限に達すれば、後はもう無です。

何も感じなくなる。

かといって悟れる訳でもないし、私はブッダにはなれない。

時たま怒りと悲しみが強烈に蘇り、自分が人間であったことを思い出すが、結局はまた無に戻っていく。

世界がどのようであっても、空白と何ら変わることはないのです。