逢いたくなったときの分まで

ミスチルHANABI待ってたよ。

ipodでリピートして聴きまくってる。自分の心境と合致してるからかな。

象徴的に繰り返される“もう一回、もう一回”という言葉。信じること、好きになること、諦めないこと、生きていくこと。色々な想いを抱えながらも、人は次に期待を託す。何度でも、何度でも。

なんといっても三番のサビだなぁ。“逢いたくなったときの分まで、寂しくなったときの分まで、もう一回もう一回・・・君を強く焼き付けたい”

人生なんて儚い花火のようなものなのかもしれないけど、人は人を好きになる。それでいいのかもしんない。

カップリングのタダダキアッテは、タガタメがモチーフになってるのは歌詞の引用からも解りきってることだったが、まさかアレンジ曲とは。

この曲は“子供らを被害者に加害者にもせずにこの街で暮らすため、まず何をすべきだろう?”っていう歌詞が出てくるようなメッセージ性の強い曲なんだが、何てポップに仕上がってんだよ。一番と二番のサビが入れ替わってるせいで、最初はやたら普通の曲に聴こえるよ。

原曲は魂の叫びのような曲だかんな。鬱と躁の振り子というか。

賛否あんのかもしれんが、こっちの方がいいな。全く同じ現実を、暗く捉えるのか、明るく捉えるのか。私なら後者を選ぶよ。

最近は新聞やニュースも程々にしか見てない。大半が知る必要のないものだから。

悲しい話をしてくる奴に言いたくなるんだよ「それ聞くことによって、この世界の悲しみは一つでも減るのか?減るのならいくらでも聞くが」と。

だからさ、悲しいことを必要以上に受け取る必要なんてないんだよ。考え方を変えるんだ。悲しみに同調するのではなく、自分が幸福を生み出すことによって、この世界の悲しみを一つでも減らしていこうと。

私が笑いにこだわるのもそういった理由からだ。嘆き悲しむ時間があったら、笑いのネタでも考えろと。

だから、タダダキアッテを聴いてすごく納得した。歌詞は変わってないのに、こんなにも違う。現実は変わってない。自分の認識が変わったのさ。

GIFTも壮大だし、大作が続くなぁ。