今まで生きて来て、私と実際に接点のある人で尊敬できるのは、僅かに2人。
1人は、純粋さと素直さが凄すぎて。自分の物の見方や考え方が、根底から音を立てて揺らぐくらい。
1人は、尋常じゃない過酷を乗り越え続けているのに、絶対に挫けない精神力が圧巻すぎて。そして、本当に優しいしな。私には、とても真似できない。
私が色々あっても、「頑張るかぁ・・・」と思えるのは、こういう2人を知っているからなんだと思う訳で。
もしそういう尊敬に値する人を、ただの1人も知らなかったら、私はもうダメだったろうね、おそらくは。
テレビや書籍で、どれだけ凄い人が出てきても、結局は私の知らん人で、説得力に欠けるんですわ、どうしてもね。
実際に会って声を交わして、初めて解ることがある。
人間に絶望するのも、人間に希望を持つのも、深く人間というものと関わってから、判断していけばいいのであって。
部屋の隅で膝を抱えてちゃ、何も解らないし、何も始まらない。
・・・。
既成の枠を、ぶち破る。
破ると、また次の枠が。
枠をぶち破り続けると、さてどうなる。
メビウスの輪を描くように、終わりない無限の枠に囚われているのかも知れない。
それもまた、一興。
何もしないよりは、面白かろう。
・・・。
私は私のことを、何もかも解ったようで、本当はまだ半分も理解できてない。
記憶も曖昧。
自己同一性は、不安定。
昔の私しか知らぬ人は、今の私を知ってどう思うか。
私は私という枠そのものだって、飛び越えていきたい。
「お前って、そういう奴だったけ?」
それくらいの変化は、まだまだ。
「お前って、誰だっけ?」
名前を聞かなきゃ、あの人だって解らないくらい変わる人もいる。
よく言うでしょ、“限界を作っているのは、自分自身”だってさ。
本当は、何にだって成れるのよ。
成りたいように、成ればいい。
人間は不自由だって、誰が決めたの。