正解

人と言葉を交わした後は、いつも。

こう言えば良かったって、思うことばかり。

文章はアップした後で、いくらでも手を加えられるけど。

実際に人と関わる時は、もう一度やり直したいとか無理でね。

一発勝負の連続だ。

後になって思ったことが、正解って訳じゃないけど。

というか、正解など解るはずも無い。

人生を巻き戻して、「あの日、あの時、あの瞬間」に、戻れるなら。

思い付く限りのパターンを全て、何度でも巻き戻して試してみる。

そうすれば、限りなく正解に近いパターンに、いつか辿り着けるとは思うが。

他者を介す事柄をいくらシミュレートしても、最善が何かはいつだって不明確。

相手の考えていることは、100%は解らない。

想像の域を出ることは無い。

正解であって欲しい、最善であって欲しい、それはもう縋る様な願いだ。

言葉を交わせば交わす程に、言い知れぬ孤独感が、胸中を埋め尽くす。

「何もかも無駄」

という声がする。

「何もかも無駄でも、やってみろ」

という声もする。

この宇宙に初めから1人しか居ないのなら、言葉なんて必要なかった。

なぜ言葉が出来たのかを、考えてみれば。

他者と解り合う為の、ツールに他ならず。

太古の昔から脈々と、試行錯誤が繰り返されて来た。

全ての人間が相互理解を諦めたら、言葉は消滅する。

そうなれば、人類滅亡も遠くない。

言葉とは、人であり。

人とは、言葉なのだ。