誰もが観測者、誰もが評論家

すべての存在は、認識されて初めて成り立つ。

観測者が存在しなければ、無いも同じ。

評論家が好き勝手に品評して、観測物に意味付けをする。

花が美しいと、決まっている訳ではない。

虫が醜いと、決まっている訳ではない。

何かを見て、何かを感じる。

何かを感じるまでは、中庸。

何かを見るまでは、存在さえ認識の外。

世界がただ真っ暗な空間では、すぐに飽きてしまう。

だから眼を開いて、観測を続けようか。