完全に弱くてニューゲームの人生

悪党は相応の報いを受ければいいと思えば、因果応報は在った方がいい。

もちろん自分だって、聖人君子のように生きて来られた訳じゃない。

それでも人間は蒔いた種(行為)によって、それに相応しい収穫物(結果)を受け取るのだという絶対的なルールが欲しい。

そうであるなら、行為の対価が行為の善悪と合致するという意味においては、人類は皆平等ということになる。

しかしそれだれと、今生で全ての行為が清算されるのは物理的に厳しい。

輪廻転生という概念を持って来なければ、100%の因果律は築けない。

今生でとっとと輪廻の鎖から解き放たれたい身にとっては、何だか歯痒さを感じずには居られない。

もし今生で解脱した場合、来世で清算される筈だった因果はどうなる?

解りやすくいえば、私が今の人生で感じているこの怒りと悲しみはどうなる?

いつかどこかで埋め合わせが付くなら、辛うじて納得も出来るが・・・。

私には今しかないんだよ。

他の人もそうだけど、輪廻が在ろうが無かろうが、人生は一度きりなんだよ。

記憶を継続したまま、ニューゲームを始められる訳じゃないからな。

どう考えても強くてニューゲームだろって奴もいるけどさ。

今生での出来事は、今生で納得できなけりゃ意味が無いんだ。

ビスケットの缶理論で考えれば、嫌いなビスケットを先に食べたのなら、後には好きなビスケットが残っていてくれなけりゃ、救われないだろ。

嫌いなビスケットを先に食べたのに、残りが更に不味いのしか残っていないなんて、全く冗談じゃないからな。

誰だって救われたい。

せめて、納得しながら生きていきたい。

これで良かったのだと噛み締めながら死んでいきたい。