記憶という曖昧の集積

振り返ってみると、何だか色んなことがあったような気がするけど。

どれが本当にあったことなのか、今考えると心許ない。

記憶というのは、澱のようなものだ。

出来事は過去となった瞬間から、意識の湖へと沈み込んでいく。

意識の底に沈澱しているものは、当時の姿からは似ても似つかぬ様相を呈している。

良くも悪くも、全く違うものになっているだろう。

正確な知識や感覚を真空パックしておける訳ではないから、違っていて当然。

今さら何が正解なのか、確かめる術もない。

まず間違いないのは、自分の生年月日ぐらいなものだ。

記憶という曖昧の集積を抱えて、人は生きている。

本来的な事実は如何様にも捻じ曲がり、蛇行を繰り返していく。

悪い記憶は、いつの間にか親の敵のように誰かを憎ませる。

良い記憶でさえ、尾鰭が付いて虚栄心を膨らませてしまう。

確かなことは、今この瞬間でしか有り得ない。

過去を生きることは出来ず、未来を生きることも出来ない。

本当に解っていることは、後にも先にも今だけ。