在り方

某友人は、しきりに小説を書くことを勧める訳だが。

個人的には、フィクションを長文で物語る欲求は消えました。

だいたい私は不要な文章を書くことを執拗に嫌うので、このブログも短文が多い。

本当に必要なフレーズだけを採用していくと、キャッチコピーのように極限まで簡素化されてしまう時もあるが、1のことを100に薄めて書くよりは、100のことを1に凝縮して書く方が価値があると思っているので、特に変えるつもりはない。

要点だけを配して余白を残せば想像が広がるし、文章としては窮屈でない。

前述の某友人はブログみたいな趣味としてではなく、あわよくば金になるようなものを書けって言うんだけど、文章を書く上での在り方がもう昔とは違うんだよね。自分の中では。

・・・。

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』という詩は、作品として発表するつもりのない、日記のように手帳に書かれていたものが、没後になってから発見されたものであり、一般的に『雨ニモマケズ』と呼ばれているが、本来タイトルはなく、ただ11月3日とだけ記されていた。

私はこのエピソードを知って、これが文学の理想形なのだと悟った。

もちろん、商業作品として書いたもので儲けることは何も悪くない。

けれど私は、誰に読ませるでもなく書いた物の中にこそ真実の文学があると思う。

世間の評価など関係なく、昨日と今日の違いはただ自分の中にある。

別に何か高尚なものを書いて、読み手を唸らせたいとは思わない。

あくまでも自分の中でだけ、何かが積み上がっていく。

そういうものを、私は書きたいと思っている。