表現の話5

任天堂が、動画サイトなどで自社のゲームを使用することを正式に認可したらしいが、賢明な判断だと思う。

そりゃ、動画を見ただけで満足してしまう層もいるだろうけど、それ以上に動画を見たことで実際にプレイしたくなる層も多いだろう。

ドラえもんの話で、潰れかけの和菓子屋の購買者を増やすために、秘密道具を使って町中に宣伝する回があるんだが、結局は過剰な宣伝活動を嫌がられて全く客が来なくなってしまい、店主にもう店を閉めるから好きに和菓子を食べてくれと言われ、ドラえもんのび太が美味そうに和菓子の山を食いまくるんだが、そのシーンが意図せず町中に流れ、最終的にそれを見た町中の人々が我先にと店に押し寄せて来るってオチなんだが、これは昨今のゲーム動画に似ていると思う。

結局ね、下手な宣伝よりも、ユーザーが楽しそうにプレイしている動画を野放図に垂れ流す方が、よっぽど販売促進に繋がる訳ですよ。

もちろん、投稿主の腕前にもよるけどね。

表現というのは無から有を生み出す作業だけではなく、既にあるものをどう料理するかというのも、立派な表現の一つなのだと思う。

だからゲーム実況というのも、新しい表現の形なのだと確信している。

編集のセンスはもちろんだが、やはり喋りの技術が物を言う。

私は人との会話を面白くする自信はあるが、一人語りでここまで面白さを表現できないし、正直に言って恐れ入る。

変な話、数十分間も面白い独り言を続けられるのかってことさ。実際、凄いよ。

あとやっぱり動画をアップしてる連中は、別にそのことによって金銭が発生している訳ではないので、何に縛られるでもなく思いっ切り表現できるから面白いんだよな。制約が増えるほど、つまらんテレビ番組のように何の価値もなくなる。

名声欲、名誉欲はあるだろうが、それは表現をする全ての人間が等しく持っている自己顕示欲だし、そこを否定しても仕方ない。

面白い人間が面白いものを表現して、皆で面白がる。

まさに最高の時代に、我々は立ち会えている。