結局ね、あの人は優しいとか、あの人は気遣いが出来るってのは、自分にとって都合がいいかどうかでしかないのね。
都合がいいと言うと語弊があるが、優しさも気遣いも、人によって感じ方が違うものなので、単一の基準に当て嵌めて定義することは出来ない。
物事には等しく普遍性があるように見えて、実はないんですね。
私はよく人を罵る時に「あいつは常識もなければ、良識もない」というフレーズを使うが、ただし自分にとっての感覚においてのみ、「あいつは常識もなければ、良識もない」と思わなければ独善的になってしまう。
常識も良識も、実にふわっとした性質のものだ。
その人の主義によって、簡単に変わってしまうもの。
私は左巻きの人間と考え方が合わないが、向こうもそう思っているんだろうし、常識と良識の定義も全く違うんだろう。
まぁ、別に何を思っても構いはしないのだけど。
「誰だってそう思っている」とか、「国民の総意」とか、「お前もこの考えに従うんだ」とか、そういう寝ぼけたことを言い出さなければね。
一つの考え方だけで纏めようってのは、そりゃ無理なのさ。
この世界が、一つの国として纏まる日など来ないように。
重要なのは強制的に枠に嵌めることではなくて、違いを認め合うこと。
何かを迫害しようと思う人間は、いつか自分も迫害される対象になる。
誰かは自分と違ってもいい。
自分は誰かと違ってもいい。
これが成熟した人間のあるべき姿だろう。