自分探しの旅

本当の自分探しというものは、どこか遠い外国を旅して回ることではなく。

誰もいない部屋で、たった一人で、どこまでも自分自身と向き合うことではないか。

遠いどこかで自分自身を知るというのは、基本的に有り得ないと思う。なぜなら、どこへ行こうが、行くまいが、自分は自分でしかないのだから。今ここで解っていないことが、別の場所に行くことで明らかになるとは考え難い。

他者は物を言う鏡であるが、結局は他者というフィルターを通しての自分なので、それが果たして本当の自分と言えるのかどうか。

鏡に映る自分が、どこまでも自分に似た何かでしかないように、客観的に自分を眺めるということは物理的に不可能。

外側を見つめるのではなく、どこまでも、どこまでも、内側に目を向けることが肝要であり、それだけが唯一自分自身を深く知る方法だろう。

私がmixiを好きな理由の一つに、コミュニティというものがあって、これが文字通り山ほどある訳だが、この山の中から厳選して、自分に合ったものを1000個見つけ出すのは、実に面白い。

このコミュ入会の上限1000というのが絶妙な数字で、多すぎず少なすぎない。

まぁ、自己探求など全く興味のない人間にとっては、コミュ1000など多すぎて、それだけの数を探して入るのも馬鹿らしくなるレベルだろうけどな。

例え私が全く知らない人であっても、コミュに1000入っているというただそれだけで、その人に興味を持つし、好意を抱く。少なくとも、私が嫌いなタイプじゃないのは明白。自身を知ろうとせず、他人の言葉に踊らされ、信じるものもなく流されるだけの人に、私は興味を持てない。

何が好きで、何が嫌いで、どんな哲学があり、何を信じているか。自分自身のことを深く知ろうとする人間は、とにかく引き出しが多い。

自分自身がどういう人間か知っているだけで、話の種が増えるからだ。

そして、そういう人が語る話は、まず間違いなく面白い。

それは別に笑えるとか、単純なものではなくてね。

他人にあれこれ偉そうに言いたがる奴は、その前に自分自身のことを世界で一番解っているのかと訊きたい。

自分自身のことが深く解っているなら、他人のことも深く知ろうとするだろう。

そういう人は信用できる。私も腹を割って話そう。

自分自身を経由することでしか世界を認知できないのだから、自分を知らない人間は、世界もまた知らないに等しい。

世界の入り口は自分であり、世界の出口もまた自分なのだ。