最難関をやるっきゃない

より善く生きるとは、どういうことなんだろうか。

早い話が、善良な人間って何さ?ってこと。

善良な人間とは、聖人君子になれって意味ではないと思う。

そんな大それた存在ではないが、それなりに価値を認められ、必要とされ、苦にされることもなく、自然な存在感でそこにいる感じ。

某友人は親友の条件に、「気遣いが出来る」というワードを挙げていたが、それって結局は、自分にとって都合がいいってだけなんじゃないかな。

気遣いが出来る良い奴は、あくまで自分にとってだけ良い奴。

万人に受け入れられる善良さなんて、有り得ないんじゃないだろうか。

より善く生きたいとは思うが、それによって別の人間からは受け入れられなくなることも当然考えられる。

なぜなら、たった一つの最適解など人間関係には存在しないから。

静かにしていればもっと喋れと言われるし、よく喋れば静かにしろと言われるし、無難にしていれば無個性でつまらない奴と言われる・・・どうしようもないな、こりゃ。

自分が最適だと思っても、他の誰かにとってはそうではない。

ということは結局、自分に合わない奴らとは適当に合わせて、本当に心を許せる仲間たちとだけ楽しい時間を過ごすってことでいいんじゃないか。

誰も彼も解り合って、仲良しこよし出来る訳じゃなかろうに。

まぁ、本当に心を許せる仲間たちを見つけるのが、人生で最難関なんですけどね。