神の話

私はバリバリの保守論者であると同時に、ゴリゴリの有神論者でもある訳ですね。

とはいえ、特定の宗教は信仰していないし、宗教そのものは嫌いな方。原始仏教は好きだが、原始仏教を宗教だとは思っていないので、信仰とは違う。世界最古の自己啓発みたいなもんですね、原始仏教は。

まぁ、有神論者になった理由は色々とあるが、第一には、この宇宙や地球や知的生命体が発生した経緯が、あまりにも奇跡的であるということ。この奇跡自体を神と呼んでもいい。

科学は科学で、科学を信仰している科学教みたいなもんだからね。奴らの言っていることはあくまで仮説に過ぎず、万能に全てを証明してくれている訳じゃない。

しかし、日本で自分は神を信じているなんて言うと白い目で見られるので、私も普段はそういう話を控えている。雑談で政治と宗教はタブーだってよく言うしね。尚このブログでは、2日続けてタブーに挑戦中(笑)

そんな信仰心の薄い日本でさえ、正月になりゃ群れをなして初詣に行くんだから、笑っちゃうよな。困った時は神頼みするくせに、普段は何の信仰もないんだから。

でもまぁ、私の考えている神というのは、キリスト教的な神とも違うんだけどね。あまり聖人のような存在とは考えていない。

寧ろ残虐的な面もあるくらい、この世を実験台にしているのではないかとさえ思う。

人や動物が、苦しい思いをして死なない日はないからね。

毎日もがき苦しみながら、誰かや何かは死んでいく。

私は人間に自由意志があるとさえ思ってはいないのだが、これを突き詰めると無気力な世を儚む人間になるしかないので(もうなってるw)あまり考えないようにはしているんだが・・・。

死後の世界があるのかも解らないし、泥の中から生まれて泥の中に還っていくのが生物の定めかも知れないが、何にせよ生まれてきたからには、生きるしかないんですね。

生きる意味というのは所詮、人間の考えた尺度でしかない。

もっと大きな意味があるのかも知れないし、ないのかも知れない。

何はともあれ、死ぬ瞬間まで生きるしかないのが、生物の宿命。

僅かな歓びを目一杯にふくらませながら、日々を繋いでいくしかない。