メガネの話

パソコンに引き続き、メガネも変えることになり、今日完成品を受け取ってきた。

退院の日、メガネの掃除をしていたら、なぜが鼻にかける部分が折れたのが切っ掛け。それはもう、見事なまでにパリーンと割れ、破片はいずこかに吹っ飛んでいった。

そのメガネ自体は無料で直してくれたのだが、検査した結果かなり近視・乱視が悪化しているようなので、新しく作ることにしたのだ。

まぁ、鼻の部分が折れなきゃもっと使っていたとは思うが、さすがに9年は使いすぎだと言えるだろう。私は物持ちがいい方ではあるが、物には限度というものがある。ただ徒に長く使えばいいという物ではない。大きな怪我、あるいは大きな失敗に繋がることもある。大事な物ほど、切り替えのタイミングを慎重に考えなければならない。

パソコン共々、9年もご苦労なことである。

新しいメガネをかけて改めて自分の顔を見ていると、今までのメガネに比べてかなり堅苦しい感じがするのは、おそらく気のせいではない。

昔からメガネをかけているというそれだけのせいで、頭がいいキャラ、堅物キャラなどのイメージを勝手に持たれていたが、実にいい迷惑である。

私は基本的に自分が興味のある分野にしか関心がないし、堅物キャラというよりは、人を笑わせることが好きな三枚目キャラだと言えるだろう。

まぁ、早い話が面白いことにしか興味がない。

ルールに強い拘りを見せていた時期もあるが、とうの昔に風紀委員長の腕章は破り捨てた。私は何にも縛られず、何をも縛ることはない。気ままな根無し草として生きることにしたからだ。

人はいつでも、見た目のイメージに左右されるものだ。私とて例外ではない。

本質を見抜くことに関して、外見のデータなど参考程度に過ぎないのだ。

メガネはかけても、色メガネをかけてはいけない。

漆黒のレンズを通した眼で世界を見て、世の中の暗さに絶望するような、愚かな人間になどなってはならない。

僅かな心の濁りでさえ、時に判断を狂わせる。

例えこの眼が見えなくなろうとも、澄み切った心の眼があれば良い。